いまは「歴史」ブームと言われています。”歴女”なんて言葉も流行りました。マイナーな城跡を見にいくと普段は誰もいないような場所に女性がいたりして…。
兵庫県の「竹田城」なんかは山城に残る石垣の跡が、”日本のマチュピチュ”とも”天空の城”とも呼ばれています。ここ最近、女性の訪問者が激増らしいです。
こんなワタクシも小学生のころより大いなる歴史好き少年でした。
歴史の人物の本を読んだり、よく新聞広告の裏の白面にお城の絵を描いたりしていました。博物館やお城を見に行くのが楽しみでした。
そんな歴史好きは大きくなってからも変わらず、今も折を見て城を見に行ったり、歴史の舞台を訪ねてはその地での過去に思いを馳せたり…。。。
さて、時にはこんな話をブログで書こうと思う。
この6月まで当社の本社があった愛知県日進市。
城の遺構といえば全国でも有数の数を誇る東海エリア!その愛知県内でも名古屋周辺には実に沢山の城郭の史跡が残っています。
そんな当社の本社のあった日進市にも立派な復興天守のある「岩崎城」(今日の写真~WIKIより拝借。)があります。あまり有名ではありませんが、「梅森(北)城」「折戸城」「赤池城」「藤島城」…といった遺構が残っています。また岩崎城周辺はあの豊臣秀吉と徳川家康が戦った「小牧長久手の戦い」のメイン舞台。
今日は、そんな日進市周辺での歴史のお話。
織田信長といえば日本史上、絶大な存在感を持つ人物。
ワタクシの憧れの人物の一人。
そんな人物の足跡が日進の地元で感じることが出来るんです。
出来事は1580年のある事件。
1575年武田信玄の子、武田勝頼を長篠の戦いで破り東の憂いを断ち切り、翌年には近江の国の安土に築いた新たな城(安土城)に居城を移しています。畿内をほぼ制圧し、そしていよいよ西部戦線(中国地方)での毛利氏との戦いを本格化させつつあった頃、それが1580年。
有る事件が起きました。
信長は、突如として家臣団の重鎮を含む多くの配下を追放する!という挙に出たのです。追放された中には信長の父信秀の代より仕えていた織田家の筆頭家老でもあった林通勝(秀貞)や、尾張時代よりの古参の武将の佐久間信盛・信栄親子、美濃制圧戦の過程で信長に服した安藤守就などが含まれていました。理由は敵方への内通(=裏切り)疑惑や職務怠惰、過去の失敗に対する処罰…といった理由。恐らくは、内部組織や他国よりのある種の謀略もありつつ、また領国の拡大と共に急成長していく織田家家臣団という組織に対して、旧来からの価値観のもと異を唱えていた派閥だったのかもしれません。少し詳しい歴史書などにはこの事件のことはよく取り上げられています。
そんな追放された武将の中に『丹羽氏勝』という人物の名前が史料には挙がっています。
1523年生まれの武将で、その出自は尾張の丹羽庄の豪族。紆余曲折はありつつも(仕えていた主君の部下が織田信長の弟を殺害し、信長の怒りを恐れたその主君は逃亡…)信長の直臣となり各地を転戦、武功を挙げる。
その氏勝も1580年の粛清の対象となったわけです。
それをどんな思いで受け止めたのか…。
そんな氏勝が追放の後に身を寄せて最期を迎えたのが愛知県日進市の隣町の愛知郡東郷町にある息子丹羽氏重の居城「傍示本城」。そこに身を寄せて1597年に75歳で亡くなっている。当時の愛知県の日進市から愛知郡東郷周辺が丹羽氏の支配エリアのようでした。
氏勝のその息子丹羽氏重も1584年の小牧長久手の戦いでは徳川方に付き、戦略上の重要拠点である日進市の「岩崎城」を守備していた。そこで数倍の兵力の豊臣方と戦いとなり(岩崎城の戦い)、3度に渡り豊臣軍の攻城の軍勢を破るも城外で奮戦中に討ち死。その際の氏重は僅か16歳。しかも天然痘を患っていたとの話が残っている…。
息子の戦死の報に接した60歳を超えた父の思いはどうだったのでしょう。
氏勝には幸いもう一人息子(氏重の長男の丹羽氏次)がいた。弟の氏重が戦死した小牧長久手の戦いでの激戦岩崎城の戦いでは、兄の氏次は徳川家康の本体に従い小牧方面に出撃しており岩崎城の戦いには直接参戦しなかったため幸い存命のまま小牧長久手の戦いを終えた。その後、氏次は豊臣秀吉の死後の覇権を争った1600年の関ヶ原の戦いでも徳川方として功を上げ、徳川氏による幕藩体制下では三河の伊保という地(現在の愛知県豊田市の一部)に三河伊保藩を構えるにいたった。
そんな息子氏次の活躍を見届けることなく1597年に75歳で父氏勝は死去。
氏次はその父の死後4年経った1601年には伊保藩を二男氏信に任せ父の後を追うように52歳で死去している。(氏次の長男氏資は徳川家の家臣となっていたが1599年に早世してしまっていたため)
氏信はその後大阪の役で戦功を上げ、1638年に美濃国岩村藩へ加増移封となり伊保藩は廃藩となり天領とされた。
丹羽氏のその後の子孫は氏次・氏重兄弟の活躍の後徳川の譜代大名として禄高こそは大きくはないが、大坂定番や大番頭などの幕府役職に就き明治に至っている。
こんな深い歴史が身近の地域で起こっていたわけです。
歴史はとても面白いですね。
ふとそんな歴史のロマンの中に逃避した今夜ですが…
寝苦しい暑い夜です…。。
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