予防線を張る部下を上司はあきれてみている。
上手くいかなかったときに、それの言い訳の準備を先にするような部下のことだ。
そして、場の空気を読んでくれない部下のことだ。自身の状況を優先して相手(=上司や同僚)の立場を二の次にするような態度をとる部下のことだ。
基本的に自己保身と相手に対して敬意を持たない発想がその本質にあるような気がする。
敬意とは尊敬ということではなく、ここでは”相手の立場を尊重する”という言い方のほうが理解しやすいかもしれない。
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上司:「A君、ちょっと○○○できるかね?」
部下:「今ちょっと忙しいので…」
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仮にも上司からの命令口調ではないにせよ、依頼に対して”NO!”の回答は絶対にあり得ない。
日本語の文末決定性と言葉にならない裏読みは難しいところだが、
「○○できるかな?」は「○○しろ!」と、同義だ。
そんな立場をわきまえない発言は、本人の意識はどうであるにせよ最近の社会人に多いらしい。
周囲の経営者からそんな話をよく耳にします。
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上司:「できないの?」
部下:「やれ!と言われればやりますが…」
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こういう会話を上司に平気で言ってのける社会人がいるとは驚くが、それを許容する組織は組織としての体を成していないということだ。
「意見が言いやすい」とか、「風通しのよい」などというものと混同してはいけない。意見を言ってもよいのは階層分業、職能分業、責任分業、解決分業のそれぞれのポジションでの枠内での話。
なんでも意見を言うような部下も部下だが、それに耳を傾ける上司も上司だ…。まったく組織の何たるかがわかっていない!だから組織が崩壊し、会社運営がうまくいかない。
現実的に困難な状況で難しい仕事を指示されたときでも、先ずは「YES!」で入らないといけない。
100歩譲ったとして、そのうえでどうしても困難な状況であればYESの後で注意点を申し述べて上司の判断を仰ぐようにしないといけない。「YES!・・・BUT~…最後にYES!」ならばギリギリ正解だ。
本当の正解は「YES!」とすぐに言えるように部下自身が自発的に日々準備をしておくこと。万一、それが言えないと感じたときはそこが努力ポイントとして自己解決を図らねばならない。
それができる人材は企業の中で必ず上司に目をかけられる。そんな気持ちでいる部下はぐんぐん力をつけていくわけだ。そうすれば自然と任せられることも次第に大きくなっていく。”速攻YES!”の答えが増えるということだ。だから「イコール出世」となるロジックだ。
「YES!」は上司にすり寄るという意味ではなく、自身の能力の見極めなわけだ!
いつもワタクシが感じることだが、
常識的な組織の中であれば、絶対に上司は実現できない命令は出さない!
部下の状況は部下以上に上司が十二分に把握しているし、必要であれば、上司が部下の代わりにその課題をクリアすることは十分にできる状態であるということ。
「上司だったらどのようにこの困難な課題をクリアするのだろうか…?」と、常に”できるためには・・・”という前向きな議論を頭の中で続ける必要がありますね。
その実現ができないのは部下である自身のレベルの低さということに他ならない。
”できない!”と感じた瞬間、そこには上司から自身の成長ポイント(=課題)を与えられているということ。感謝しなければいけない局面だ。
それなのに、”「NO!」とは何事か!”と正直、怒りの気持ちを上司は持つわけです。
その実力がないならばせめてそれを認めたうえで、
「YES!最善を尽くします。しかし私の今の知識と実力では少々解決が難しいかもしれませんので、ぜひ途中でアドバイスをいただけないでしょうか?しかし先ずは精一杯自身の力で頑張ります!」
というような元気な前向きな答えを聞かせてほしいと上司は思っている。
でも、実は立場が違うとこの内容がなかなか見えてこないものです。
しかし、正解は自身の中に不甲斐なさの原因を求めるべきで、出来ないことやその原因を他人や上司、そして周囲の環境などの他の物事のせいにすることはとんでもないことです。
出世する人や、有能なビジネスパーソンはこういった点に自然と発想が向いているものです。自身への厳しさのあるYESマンが出世するビジネスマンの条件です。
では、”「YESマン」の弊害”という観点からすれば、組織には「NO!」を突きつけることが必要な役割と立場を担う存在というものがそもそも別にあります。組織論のそれさえも理解していない未熟な部下が上司にNO!を言うなどもってのほかと言えます。まさに「それを言うには10年早い!」ということなのです。言いたくなる部下の気持ちは嫌というほどワタクシ自身わかりますが、子供の反抗期のようなものですね。そもそも大人なのですから、そこは社会性の名のもとに封印するか、もっと見識を積むように理解できるための努力すべきでしょう。
ワタクシ自身が重用する人材は間違いなくこの発想と能力を備えていることが必須と考えます。能力は物理的な時間をかけ努力で学ばなければ会得できないが発想は自身の心一つで変わります。
一言でいえば”元気と前向きさ”なのでしょうかね!
ワタクシ自身も常に周囲にそうありたいものです。
さて、話題に上ったような厳しさや自身の義務や責任感を横に置いておいたままの他者依存、責任転嫁論の最近の風潮は、
「労働者の権利を守れ!」
「消費者の権利を守れ!」
「子どもの人権を守れ!」
などをあまりにも社会が過剰に守りすぎるから過保護になっていることが原因ではないか?と感じる部分が多い。厳しさがなく責任を感じない人々が多い。
*もちろん社会的な弱者を守るという部分では大いに賛成ですし最大限尊重すべきだと思いますが、中には度を越していることもあるのではないか?という話ですので誤解なきよう。
「消費者保護」→モンスターと呼ばれる様なクレーマー
「労働者保護」→モチベーションを落とし自身への厳しさを失い、部下や上司も含めて周囲との共存性を持たず、寄生虫のように寄りかかるだけの無能な社員
「子供の保護」→他人の痛みを想像できない利己主義な大人への成長、学校などの教育現場ではモンスターペアレントなどという言葉が登場
最近は、子供の躾や指導を学校が厳しくすると「体罰反対!」「暴力教師!」などと騒がれ、それを助長するマスコミがいたりする。教師が生徒に厳しい指導をすると、「教育委員会に訴えるぞ!」と親や生徒が平気で言ったりする場面もあるとかないとか、さらにその親が出てきて子供の出来の悪さを棚に上げて学校に激しく抗議に来る・・。
親でも子の躾には神経質になっていて、ましてや近所の子供が悪いことをしたときに町内会の怖い親父がゲンコツの一つや二つで懲らしめることなどもってのほか!という空気になっている。
一方で、叱ることや躾がエキサイトしすぎて我が子に重傷を負わせたり、最悪、命を奪ってしまうような事故や事件もしばしば目にする。
それは過去に自信が厳しくしつけられたり叱られることがなかったせいで”限度”を知らないからかもしれない。厳しさ自体を知らないから優しさの意味や愛情の注ぎ方を知らないわけだ。
確かに暴力は良くないが、どうもそのあたりに神経質でありすぎる気がする。
確かに時代は違うかもしれないが、ワタクシが学校(特に義務教育期間)に通っていたころは体罰なんぞは当たり前だった。だからこそ痛い思いをしてこそ他人の痛みを知ったこともあった。それを今でも感謝することはあれ、恨むことなど一切ない。
どうも「超保守的」なことや「過保護」なところが、相手のことや周囲のことを見えなくさせてしまい、利己主義的な視点の下、既存の社会システムを停滞させてしまい、さらには社会悪まで増長させる原因になっているように思う。
「相手がいるから自分が成立する」わけだ。
「厳しさは身を持って体験しないと理解できない」わけだ。
この基本を忘れてはならないと思う。
う~ん…。
なんだか取り留めのない話ですいません…。
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